少し前のお話です。
私は元々デインの貴族の血筋に生まれました。まあ、貴族とは言ってもそれほど地位が高いわけでもなく繁栄していた家柄ではなかったので、高貴な家とは違って使用人は精々一人か二人くらい。まあその小さな家には私と父親しか暮らしていなかったので、それでも十分事足りていました。俗に言う“ラグズの奴隷”ですが、周りとは違い父親がもともとその習慣を嫌悪していたのでうちにはいませんでした。一度だけ、幼い頃に彼らのことを“半獣”と呼んでしまったことがあります。子どもの私は今以上に考えなしで、ただ書物を読んで覚えた言葉を使ってみただけなのですが、その時ほど父親に強く引っ叩かれた事はありませんでした。なにせ、父親は昔、ラグズに命を助けられた事があったみたいです。
そんな父親が亡くなったのが、2年くらい前。デインがクリミアとの戦争に負けて、ベグニオン帝国に支配されるようになって少し経った頃です。その日、私はいつものように魔道の勉強をしていましたが外へ出掛けた父親は陽が沈んでも帰って来なくて、それから夜が明けて普段とは違い騒音と胸騒ぎで目が覚めると、家の前にはベグニオンの駐屯兵がたくさんいて今にも扉を壊して押し入ってくるようでした。私は大切な魔道書だけを持ってすぐに家を出たけれど、逃げ切る事が出来ずあっさりと捕まってしまいました。奴らが言うには、父親は駐屯兵に何癖をつけられて酷い仕打ちを受けていた人を庇った為に、反逆罪として見せしめに処刑されたそうです。もうお終いだと思いました。私はここで死ぬのだ、と。けれどその時、絶望した私を助けてくれたのがサザでした。彼は私を囲んでいた駐屯兵を次々と倒して、「もう大丈夫だ」と一言だけ言いました。その言葉に、どれ程安心したでしょうか。その後に駆けつけたミカヤの腕の中で私は延々と泣き続けました。
そうして、私は暁の団の一員となりました。エディは明るくて親しみやすくって、彼とは出会ってすぐ仲良くなりました。何かと二人で作戦を立てたりして上手くいくことも時たまあったけど、二人で失敗したときはいつもレオナルドに面倒をかけていました。レオナルドはどんなときも冷静でピンチの時も落ち着いて対処してくれて、その後でいつも小言を言ってくるけど、なんだかんだと面倒見の良い人でした。ノイスは強くて頼りになる人で、様々な事を経験してきたようでたくさんの事を知っていて、私の知らなかった事を色々と教えてくれました。ミカヤはとても優しくて私の事をいつも気にかけてくれて、彼女とはまるで姉妹のように仲が良かったです。サザは、―――私は、サザに憧れていました。だけど彼はいつでもミカヤの事を一番に考えていたので、私は実らない想いを抱いているのだと気付きました。それでも、ベグニオン兵やならず者達との戦闘中に私を助けてくれたり、逆にサポートした時には「助かった、」と普段ぶっきらぼうなのに微笑んでみせたり、私が作ったご飯を食べて「美味しい」って言ってくれたりするサザを見る度に、余計に自分の気持ちを手放すことが出来なくなっていったんです。
最初は身近なデインの人達の手助けをするだけだったけど、暁の団として活動するにつれて共に行動する仲間も増え、色んなことが起こりました。噂になっていたデイン先王の遺児であるペレアス王子に会ったり、ミカヤが“銀の髪の乙女”としてデイン解放軍の将となったり、私が想像していた以上に自分自身が戦いへと足を踏み入れる事となりました。そして、戦いの激しさがさらに増したある時の事でした。ベグニオン兵がデインの捕虜を使ってミカヤを誘き出し、私達は捕虜を助ける為に奴らと戦っていましたが、捕虜の一人が兵士に襲われる寸前のところを見つけて、私は思わず飛び出してその人を庇いました。そこまでは良かったのに、敵の攻撃を避けきれず酷い怪我を負ってしまい、挙句の果てにその場で気絶してしまったんです。思えば、本当によく生きていられたなあ、私。それで、目が覚めると私はベッドの上にいました。怪我の具合が気になって身体を動かしたけど、不思議なくらいにどこもかしこも全く痛みを感じなくて、ふと隣のベッドを見ると、そこには青白い顔をしたミカヤが寝ていました。それからサザが入ってきて、私の頬を思いきり引っ叩きました。「お前が一体何をしたかわかっているのか!」「自分の身も守れないのに飛び出す奴があるか!」「お前の怪我の所為で、ミカヤが苦しむ事になるんだぞ!」「ミカヤを巻き込むな!」散々サザに怒鳴られて、ようやく私は自分のした事がわかりました。以前にもミカヤの不思議な力で怪我を治してもらったことはあったけどそれは軽いもので、それでも彼女は少し体調を悪そうにしていたのに、こんなに酷い怪我を治して最悪、もしかするとミカヤは私の代わりに死んじゃうんじゃないかと、隣で眠る彼女を見て私はとてつもなく恐ろしくなりました。その後、私は庇った捕虜の人に何度もお礼を言われたけれど、今私の代わりにミカヤが辛い思いをしているんだと思うとその気持ちを受け取ることが出来ませんでした。そんな私にミカヤは「が無事で本当に良かった」と言ってくれたのに、私はミカヤの辛そうな顔を見る度に叩かれた頬の痛みと初めて見たサザの恐い顔を思い出していました。無事にミカヤは復帰したけれど、サザとはどう接したらいいのかわからなくてあれからずっとまともに顔を合わせることはありませんでした。
私はもう同じ事が起こらないように強くなろうと必死に魔道に励んだけど、ひたすら強くなりたい強くなりたいという想いに反して、いつの間にか魔法が使えなくなってしまったんです。それはもう、ショックでした。戦場に戦えない者なんて必要ない。怪我をした人を治す力も無く軍を動かす兵法の知識も無くて、遂に私のたった一つの居場所が無くなってしまいました。戦う力が無くなった自分自身に失望するばかりでした。自分の所為で他の仲間に、ミカヤに辛い思いをさせて、さらには唯一役立てる戦場に出る事が出来なくなるだなんて。もうそれ以上皆の足を引っ張りたくなくて、とうとう私は相変わらずの無鉄砲さを発揮して軍を飛び出しました。クリミアに父方の祖母が住んでいて、とても優しい人でしたが会いに行ったのは幼い頃で、今もそこに居るのかも知らずその場所さえ覚えているわけもなかったので、行く宛ては無いにも等しいものでした。
それから私はとにかくクリミアを目指しました。デインを出る時には運良くベグニオンの駐屯兵に捕まる事はありませんでしたが、どうにかクリミアに入って彷徨っている時に遂に山賊達から逃げ切れず捕まってしまいました。魔法の使えない私は抵抗する術が無く、呑気に昔の事を思い出していたんです。昔、サザが、暁の団の皆が助けてくれた時の事を。そうして山賊のアジトへと連れていかれようとしている私を、見つけて助けてくれたのがアイク団長です。2度目の命を救われました。その時私は足を挫いていて歩けずアイク団長がおぶってくれましたが、疲れきっていた為かあの大きくて優しい背中に安心して、思わずそこで眠ってしまいました。「最初に見た時、アイクが何てがきんちょを連れて来たのかと思ったぜ」だなんてボーレが言ってましたが、今でも凄い恥ずかしい思い出です。ていうか、がきんちょじゃないって言ってるのに。私は私で、まさかサザが何度も話をしてくれたアイク団長に助けられるだなんて思ってもみなかったです。まあそれで、事情を聞いたアイク団長が了承してくれて私も晴れてグレイル傭兵団の一員として暮らしていける事になりました。最初は役立たずの私だったのに、ティアマトさんやオスカーさんの料理を手伝ったり、ミストやヨファと薬草を摘みに行ったり、キルロイさんが杖の使い方を教えてくれたりして。そうしているうちに私の魔道士としての感覚がだんだんと戻ってきて、いつの間にか前のように、否前よりもずっと戦えるようになっていました。
「嬉しかった。皆には本当に感謝しています。私、傭兵団の皆が大好きです。―――――でもやっぱり、私は暁の団の皆も大好きなんです」
デインが国として見事に独立を果たした事は風の便りで聞いていたので、今度は私はお世話になった傭兵団への恩返しがしたくて、このベグニオン帝国とラグズ連合の戦いに参加する事にしました。無事に戦いが終わったら、デインの皆に会いに行こうと思っていました。なのに。なのに、まさか独立したはずのデインが、ベグニオンに手を貸すだなんて。
「私はもう一度、皆に会いたかった。でも、次に会う時そこは戦場で、私と彼らは敵同士だなんて―――」
今までずっと、静かに私の話を聞いてくれていたティアマトさんが言った。
「私は、このまま貴女が明日デイン軍と戦う事は出来ないと思うわ。・・・いえ、私はに戦って欲しくないの」
私は泣いた。涙が溢れて止まらなかった。大切なものが増えて、守りたい人達がいっぱいいて、でもその人達が互いに争っていて。
私を抱きしめるティアマトさんはとても温かくて、あの時の事を鮮明に思い出すくらい懐かしかった。
「、ずっと辛かったのね。だからもう苦しまないで」
どうして、どうして私は一人しかいないんだろう。私がもう一人いれば、両方守る事が出来たかもしれないのに。でも私は一人しかいなくて、大切なものを守りたいこの腕は二本しかなくって。本当の家族みたいだった暁の団の人達と、疲れきった私を温かく包みこんでくれたグレイル傭兵団の人達。そのどちらも確かに私の居場所だったもので。私にとって特別なこの二つを量りにかける天秤なんて、どこを探してもやっぱり見当たらなかったよ。
泣き疲れて眠った夜が明けて、翌日。結局私はどちらか一方を決める事が出来なかった。ただ、私の知らないところで大切な人がいなくなってしまう事がとても怖くて、私は杖を持って戦場に立っている。戦場は雪が積もっていてとにかく寒かった。進軍する直前までティアマトさんは気にかけていてくれたけど、私がこの場から退く事はないと知ると、何度か振り返りながらも騎馬に跨って前線のアイク団長のもとへ駆けていった。残された私は前線には出ず、後方で傷ついた兵士達を杖で癒していく。
傷を癒した兵士達は、次々に戦いへと戻っていった。もう一度鎧を着て武器を持ち直し、それぞれ私に礼を述べて前へ歩いて行く。その後ろ姿が暁の団にいたブラッドと重なって、はっとした。ブラッドも、ツイハークさんもジルもオルグさんも、メグもフリーダもノイスもレオナルドもエディも、ローラもミカヤもサザも。今まさにあの兵士達のように傷ついている。突然それが、何だかとても身近なものに感じられて、その途端に私は杖を持って前へ走りだした。前を歩いていた兵士達を追い越し、制止の声を背中に浴びながらも私は足を止める事が出来なかった。
武器と武器が重なり響く音や、ベオグとラグズ双方の雄叫びや悲鳴、断末魔が交わり遠く聞こえる。なのに前衛の軍が過ぎて行ったこの場はとても静かで、まるで呼吸をしているのは私だけのように感じられた。私は紅く染まった雪を踏んで、倒れて重なり合い動かなくなった互いの兵士の横を通り、進む。
ふ、と。辺りを見回すと、視界の端に何やら見た事のある姿が映った。まさか。遠くから見えたものだから確信は無かったけど、走って距離が縮まっていけばいく程私が昔見ていたあの姿と重なって、雪に足元を掬われながらも私はただひたすら走った。あれは、エディだ。エディは他の兵士達と同じように雪の上に倒れていた。どうしよう、もしも、息をしていなかったらどうしよう。私はエディに駆け寄ると、無我夢中で何度も何度も名前を呼ぶ。
「エディ、ねえエディ!」
「・・・・・・・?」
何度目かの呼びかけに、エディはようやく目を開けた。意識が戻った、良かった。安心して、思わずその場にへたりと力なく座りこむ。エディの手を握ると、剣を握っていたはずのそれは凍っているのではないかと思うくらい冷たかった。
「エディ、大丈夫? どこか痛むところはない?」
「、・・・なんで、お前がこんなところに」
エディは起き上がろうとするが、やっぱり酷い怪我をしていてそれはかなわなかった。私は杖を振りかざそうとしたけれど、察したのか彼はゆっくり首を振る。
「お前、もしかしてラグズ連合軍にいるんだろ。こんなところを他の奴らに見られたら・・・」
「そんな事・・・、でも私、エディの事見捨てるだなんて出来ないよ!」
「・・・馬鹿」
彼の制止を無視して、そのぼろぼろになった身体に杖を振る。私はキルロイさんほど癒す力はないけれど、それを繰り返すうちにエディの傷はゆっくりと癒えていった。身体を動かすにはまだ少し辛そうだったけど。生きていてくれて良かった。良かった。本当に良かった。
エディは周囲を気にして、ゆっくりと見回す。そしてこの静寂を破るものは見当たらない事を確認すると、徐に口を開いた。
「がいなくなって、皆凄く心配してた。勿論、サザも」
「ごめん」
「、サザの事好きだっただろ。いつも一生懸命追いかけててさ・・・見てればわかるよ。お前、わかりやすいもん。」
エディは天を仰いだ。まるで昔を懐かしむように。
そして、エディは私を見た。彼のブラウンの瞳はとても真っ直ぐで強く、私を映している。
「皆に、・・・サザに会ってやってよ。あいつ、ほんとに心配してたから。お願い」
ああ、私が知っている頃よりもずっと、エディは強くなったんだ。
「俺、あの時が好きだった。皆と、と一緒に見ている空が好きだったんだよ」
それから、私とエディは二人で空を眺めていた。私達はこんなにも変わってしまって、二人とも敵同士になってしまったけれど、見上げた空だけはあの頃からずっと変わらなかった。変わらずに、敵味方の分け隔てなく全てを見下ろしていた。
ねえ。どうして、わたしたちはせんそうなんてしているの。
その直後。雲と雲の隙間から、世界を変えてしまう“裁き”の光が瞬く―――――。