陽が沈んでから随分と時間が経ち、外を歩く人の姿は既に消えていた。小さいながらもショッピングに最適なこの街だが、店は何処も彼処もシャッターが下りている。淡いオレンジ色に光る街灯が、道と通り過ぎて行く一台の自動車を照らしているばかりだ。
その自動車に乗る獄寺隼人は、ハンドルを握り煙草を吹かしながらも酷く苛々していた。街は静まり返っているというのに、車の中はジャカジャカと激しい音で溢れている。乱暴な音と音の間で時折聞こえる、上機嫌な女の鼻歌が獄寺の苛立ちを更に煽っていた。
「おい」
「・・・・・」
「うるせえぞ」
「・・・・・」
「・・・おい、聞こえねえのか」
「・・・・・」
「おい! うるせえっつってんだろうが!」
その怒鳴り声で、ボリュームの大きな音楽によって他をシャットアウトしていたは、ようやく隣の運転席に座る獄寺の事を見た。「なあんですか獄寺さん。聞こえませーん」だがそう言いつつも彼女はヘッドフォンを外す事も、手に持っている音楽プレイヤーの停止ボタンを押す事もする素振りを全く見せていなかったので、とうとう獄寺の苛立ちは頂点に達した。片手でハンドルを握ったまま、助手席に身を乗り出すとの身に付けているヘッドフォンを乱暴に外し、「あっ何するんですか獄寺さん!」と反論する彼女の耳元で思い切り怒鳴る。
「うるせえんだよこの馬鹿女!!」は吃驚して、耳を押さえながら仰け反ったので車の窓に頭を強か打っていた。
「ひい、いきなり何なんですか」
「てめえがいつまでも無視してるからだろうが! しかもなんだ、これから任務だっつうのに馬鹿みたいな音楽を馬鹿みたいな音量で聴きやがって。少しは緊張感持たねえと死ぬぞ馬鹿女」
「馬鹿馬鹿うるさいです・・・・・って馬鹿寺さん前! 前見て、危ない!!」
気づけば車が道路から逸れて、前方には街を照らす街灯が迫っていた。を見ていた獄寺はチッ、と舌打ちをすると未だ音が止まない奪い取ったヘッドフォンを後部座席に投げ捨て、両手でハンドルを勢い良く切った。タイヤが突然方向を変えキイィと音を鳴らし、車が激しく揺れる。その所為ではまた頭を窓に打ち付けた。急なハンドル捌きの後暴れる車をなんとか手懐けると、獄寺は再び怒鳴った。
「いい加減このうるさい音を止めやがれ!」
「わかりましたって、もう。だから安全運転でお願いしますよ。交通事故で任務失敗だなんてボスに合わせる顔がないんだから」
獄寺が放り投げた所為でヘッドフォンのコードが抜けプレイヤーから直接音楽が流れていたが、渋々といった様子でが手元の音楽プレイヤーの停止ボタンを押すと、車内を支配していたたくさんの乱暴な音がようやく止んだ。
「誰の所為だよ誰の。しかもどさくさに紛れて人を馬鹿呼ばわりしやがって」
顔は前を向いたまま、獄寺の拳がの頭に落ちる。ごちん。
「痛あっ! 先に言ったのは獄寺さんじゃないですか、酷いです苛めです! パワハラで訴えますよ」
「どの口が。この前は昼間の仕事中に居眠りしてただろうが」
「そんな、それ以外はキリキリ働いてましたよ。ただ最近は全く寝ていなくて」
「どうせ仕事を溜めまくって、今頃になって徹夜で手をつけてんじゃねえのか」
「いやいや、それはちょっと前の話です。此の所は溜まってる仕事もなくてちゃんと寝る暇もあるんですけど、なかなか寝付けなくって」
「ふうん」獄寺はどうでも良いといった素振りで、口で咥えていた煙草を灰皿に突っ込み押し付けた。
「お前がそんな繊細な心を持っているとは驚きだな」
「失礼な。私だってストレス抱えてるんですから」
はむくれて言う。それを尻目に獄寺は新しい煙草を取り出して口に咥え、ジッポーで火を点ける。「でもな」
「仕事に支障が出るんだったら、大人しく医者に診てもらえ」
「いやあ。それがちゃんと診てもらって、薬も処方してもらってるんですけどねえ」
溜め息を吐いて、窓の外を見た。街灯に照らされて見えるもの以外は夜の暗がりに包まれていた。誰もいない。人気も、他の生き物の気配も無い。可笑しな事だ、とは思った。今感じられるのは自分と、隣で運転する獄寺の呼吸だけの様だった。あとは、鳥が羽を毟る音。
「眠れないんです。鳥がうるさくて」
「鳥だあ? お前そんなもの飼ってたのか」
「飼ってるというか、棲み着いちゃったみたいなんですよね」
「何処に」
「私の頭の中に」
獄寺はふう、と煙草の煙を吹き出す。
「はあ? なんだそりゃ。本当に医者に診てもらったのか」
「そうなんですけど。でも、医者は決まって言うんですよね。そんな鳥はいないって」
「そうだな。俺も聞いたことがない」
「でも確かにいるんです。夜になると動きだして、頭の中で暴れるものだから私はうるさくって敵わない」
「今もそうなのか」
「がさがさいってますね」
は耳を澄ませた。車のエンジンの音、がさがさ、タイヤが道路の上で高速回転をしてがたがた揺れる音、運転席の獄寺が煙草を吹き出す音、がさがさ、獄寺が息を吸う音、私が息を吸う音、獄寺が息を吐く音、がさがさ、私の心臓の鼓動、がさがさ、鳥が羽を毟る音、がさがさ。
夜になると動き出す鳥。
「何の鳥かはわかりませんけど、夜行性って事は梟ですかね」
「そうかもな」
獄寺はそれ以上は何も言わなかった。恐らく私のことを頭が可笑しい女だと思ったのだろう。医者もそうだった。
白衣を着た医者は困った患者の話を聞き終えると、貴女は疲れているのですよと言って催眠剤と精神安定剤を処方した。私はその薬を飲んで、ベッドに横たわる。けれど、鳥が動くので鳥籠が揺れる音がうるさかった。がたがた、がさがさ。そして、鳥は何かを食べ始める。ぴちゃぴちゃ。その音が気持ち悪くて寝返りを打つけれども止まない。びちゃびちゃ。鳥は真っ赤な柔らかい肉を餌に食べていた。ぴちゃぴちゃ、びちゃびちゃ。私は、この音を聞いたことがある。水溜まりを踏めば、水が跳ね返る。びちゃ、と跳ね返った真っ赤な水が私の服を汚した。真っ赤な水はねっとりとしていて気持ちが悪い。羽が真っ赤に汚れた鳥は、それを毟る。がさがさ、がさがさ。毟っても毟っても真っ赤だった。
お前は狂っているのか、と聞かれれば私は違う、と答えたかった。何故なら、私は奇行や奇声を発したりはしていないし、これでも仕事はきちんとこなしていたからだ。昼間は。可笑しいのは夜になってからだった。なので私は違う、と答えたい。答えたいだけで本当は私は狂ってしまったのかもしれない。けれど、狂っている人間が自分を狂っていると答えるのは滑稽だと思った。結局の所、私は自分がどちらに分別されるのかがわからないでいる。
がくあ、と欠伸をすると、獄寺はそれをちらりと見た。
「なんだよ。眠いんじゃねえか」
「ううん、眠いっちゃあ眠いんですけど、やっぱりうるさくて」
がさがさ、がさがさ。鳥は今も必死に己の羽を毟っていた。がさがさ、うるさい。眠ろうとすればする程、一人であることを意識すればする程うるささは増して、さらには頭の中を何かが這うように触る感覚まで覚えるのだ。気持ちが悪い。
眠いのに寝られない、というのを一言で表すならばそれは“地獄”だった。
はフロントガラスに背を向けて後部座席で転がっているヘッドフォンへと手を伸ばす。が、「次やったら容赦なくそれをぶっ壊すからな」ヘッドフォンを掴んだ瞬間を獄寺は見逃さなかった。
「や、やだなあははは」ミラー越しに獄寺と眼が合う。
「ちょっと気を紛らわしたくって」
そう言ってから、何を思ったのかはおもむろに運転席に身を乗り出す。そして獄寺の方へと自分の耳を寄せた。
「獄寺さん、耳が良いんだからもしかすると聞こえるかもしれませんよ」
「何言ってんだ。運転の邪魔だ、どけ」
「ほらほら、聞こえませんか」
「邪魔すんなっつってんだろ」
「ほら」
「・・・ったく、しゃあねえな」
獄寺はに耳を寄せる。と見せかけて、すぐさま右手での耳を掴み口元を近づけて「・・・」怒鳴った。「いつまでも寝惚けてんじゃねえぞ!!」「ぎゃあ!」
は手で耳を押さえ、勢いよく仰け反って窓に頭を打つ。これで三度目だった。「痛っ!」
「ひ、ひどいです獄寺さん・・・涙出てきた」
「てめえが寝惚けてるから目を覚まさせてやったんだろうが。これでもまだうるさい音が聞こえるってのか」
「それどころじゃありませんよ。鼓膜がじんじんするし頭は痛いしで・・・これじゃあ耳も聞こえなくなっちゃうし頭も馬鹿になっちゃうじゃないですか」
「あんな音楽聴いといて何言ってやがる。それに元々可哀相な頭してんだから問題ねえだろ」
「なっ・・・獄寺さんの馬鹿、馬鹿寺! これで何かあったら責任とって下さいよ!?」
「うっせえな、わかってるっつうの」
閑静な小さい街は随分前に通り過ぎていた。獄寺の運転する自動車は夜の田舎道を抜け、今は真っ暗な細い山道を走っている。目的地はこの先だ。
「なあ、」
「はい」
「今日も眠れねえのか」
「はあ。まあ、恐らくは」
「だったら俺んとこ来い」
「はあ・・・あ、え、今何て?」
「だから! 俺んとこに来いっつってんだよ」
「え!」は思わず己を庇う様に身を寄せる。
「まさか、私の体が目当てですか。パワハラの次はセクハラだなんて」
「馬鹿なこと言ってんじゃねえよ、誰がてめえみたいな貧相な体を相手にするか」
「セクハラ! ボスに訴えちゃいますからね」
「ハッ! 十代目はてめえなんかより右腕の俺を信用するぜ」
「いや、ボスは優しい御方なので悩める私の味方をしてくれますね」
「十代目に迷惑掛けたら承知しねえからな」
「わかってますよ」
そう言って、は黙った。ボスには迷惑を掛けられない。ボスの為に、と自分は誓った。ボスの為、そして自分が此処で生きていく為。だからどんなことだって自分で消化していかなければならない。消化して消化して消化して。けれど、その上で残ってしまったものは一体何処へ吐き出されるのか、今の私にはわからなかった。
獄寺は煙草の煙を吹き出した。
「仕事続きで観たい映画が溜まってんだ。暇してるよりはマシだろ」
「・・・・・」
「別に興味ねえならいい」
「ポップコーンとコーラが付いてくるなら」
「ったく」
獄寺はボスに兎に角忠実だった。忠実というか、十代目命である。それこそ異常と言える彼は、一体何を考えて任務をこなし、帰宅し夜を過ごすのだろう。
行く先を照らしていた車のライトが、一件の古い屋敷を映した。獄寺は強引に車を寄せて、適当な場所でブレーキを掛ける。ようやく目的地に辿り着いたのだ。
「まあ、」獄寺が徐に口を開く。「ヤる事ヤって気絶でもしちまえば良いんじゃねえの」
「!? やっぱりセクハラです!」
「うるせえ。それより確認はいいな」
は溜め息をついた。「大丈夫ですよ、もう」
「気を引き締めろ、死ぬぞ」
「了解」
はホルスターに収められた拳銃の重みを感じた。話の流れ次第では今日もこの相棒の引き金を引くことになるだろう。やらなければこっちがやられる。それは皮肉な程簡単なことだった。そうして自分が生きて、無事に家に帰れたのなら今度は鳥が暴れ出す。昨日に増して真っ赤な鳥が。
恐らく、私は消化しきれないことを苦しんで生きていかなければならない。此処で生きていく覚悟をした私は、もがき続けるこの鳥と共存していかなければならないのだった。
「―――」
ふ、と。獄寺がの肩を掴んで耳打ちをした。
がさがさ、がさがさ。音はすれど、今夜は一人ではない。無事に帰ることが出来たのなら、きっと自分は鳥が暴れる音を聞きながらポップコーンを食べ、この男の隣で夜が明けるのを待っているのだ。