硝子の眼





「あなた、レオナルドっていうのね」

 その人と一番最初に出会ったとき、初めて聞いた彼女の言葉はそれだった。
 そうして微笑んで「私は。よろしくね」と続けたのだったと思う。僕は頭の中で。とひたすら繰り返していただけで、その時彼女の見せた微笑みの意味についてはさっぱり微塵も考えていなかったのだ。
 僕はその人をと呼んでいたけれど、彼女は僕の名前を呼ぶことが少なかった。たまにあったとしても、「レオナルド」と口にした後決まってその人は微笑む。ちょっと首を傾けて、目を細める。それを見る度に僕は、この人はきっと何か困っているんだろうと頭の片隅で思っていた。
 思えば僕はその時から、ずっとのことを見ていたのかもしれない。戦場でも気がつけば僕は彼女の近くにいて、彼女の動きを目で追っていた。その人の指先はとても白くてしなやかで、光を放つ。まるで舞うように。けれど、僕は彼女のことについては目で見る限りの情報しか得られなかった。その人は、自分のことをあまり話す人ではなかったから。

 それから時が経ち、デインはベグニオンの事実上の支配から脱して、ついに独立を果たした。これでようやく終わったのだ、と思った。なのに、僕はまだ戦場に立っている。あんなに欲しかった平穏を取り戻して、壊れたものを直してこれから生活していくことを想っていたはずなのに、僕はまだ弓をひいている。壊している。デインという祖国を、そして今まで一緒に戦ってきた仲間を守るために。僕たちは、先の見えない戦いに身を投じていた。

 日に日に戦争の激しさが増す。そしてある時、僕は人のいない暗い夜に一本の木の傍で彼女を見つけた。案外不用心な人だ、と思って声をかけようとして近づく、と。その人は、木の根に蹲って泣いていた。地面に膝をつけて、スカートを土で汚していた。
 僕は動けなかった。どうしよう、と頭の中で叫んでいても実際どうしたらいいかわからなくて、息をしているだけで精一杯だった。そうして、彼女の泣き声に耳を傾けていると、時折僕に深く馴染みのあるものが聞こえた。「レオナルド」と。その人は泣きながら、「レオナルド」にずっと謝っていた。
 僕は胸が苦しくなって、そこに溜まった空気を吐き出すように「、」その人の名前を呼んでいた。そこでようやく僕がいることに気付いたのか、彼女はびくんと肩を揺らし、ゆっくりとこちらを振り向く。
 その人の泣き顔は月に照らされてとても綺麗だった。僕は、思わずはっとしてしまう。



「私、弟がいたの。レオナルドって名前の」

 ぽつり。彼女がゆっくり話し始めた。彼女には「レオナルド」という弟がいた。丁度、歳は僕と同じくらいの。けれど彼は、三年前にクリミアとデインの戦争に巻き込まれて亡くなったのだそうだ。
 そこでようやく理解した。が僕の名前を呼ばない理由も、決まって困ったように微笑む理由も。彼女は、僕を通していつも彼女の弟の「レオナルド」を見ていたんだ。彼女は、弟を守り切れなかったことをいつも後悔していた。にとって僕は、弟になりきれない不完全な「レオナルド」だったのだ。
 赤くなった目から未だ溢れる涙を、この指で拭う。触れた彼女の肌は白くてひんやり冷たかった。は僕にしがみついて泣く。泣かないで、なんて言えず言葉すら発することの出来ない僕。どんなに大人と交じって戦いに参加していても所詮僕は子供で、頼りないちっぽけな存在。けれども、もしもが望んでいて僕が彼女の弟になることが出来るのなら、僕は喜んで「レオナルド」になろう。僕はいなくなってしまった彼の代わりに、寂しく微笑むこの人を守ろう。そうすることで流れ続けるこの人の涙が止まるのであれば、例え身勝手と言われても今はそれで良いじゃないか。せめて、このどうしようもなく絶望的な戦いが終わるまでは。




 「ごめんなさい、レオナルド」彼女の眼が初めて“僕”を見た。