崩れた積み木は



 

 誰かに名前を呼ばれた気がした。けれど、声の主がわからない。確かに聞き覚えがあって、馴染みの深い声なのに。それでもその誰かはまだ私を呼んでいる。。誰だろう。だんだんとその声が近くなってきて、ようやく私はそれが誰の声なのかに気づいた。そして、目が覚める―――――。

「・・・

 重い瞼をゆっくりと開けると、目の前には綺麗な金色が広がっていた。きらきら、きらきらと。目を凝らして見ればそこにいたのはレオナルドで、彼はベッドの横に備えられた椅子に座りながらも、横になっていた私の膝を枕にして静かに眠っていた。
 そう。いつの間にか、私はベッドに寝かされていたのだった。確か私は戦場にいたはず。そこで、私は敵の刃に深く斬られたはずだった。今傍で寝ている彼、レオナルドを庇って。
 身体を起こそうとして、上半身を持ち上げた。ズキン、とまるで脈を打っているように斬られた背中が痛みを主張する。もぞもぞと動いてはいたけれど、レオナルドは相変わらず眠っている。右手でゆっくりと彼のきらきら光る髪を撫でてみた。ねえ。もしかして、貴方はずっとここにいて私が起きるのを待っていてくれたのかな。
 金色の柔らかい髪が私の指をさらさらと流れていく。嗚呼、この子が生きていてくれて、本当に良かった。身体は大きな傷を負ったはずなのに、何故か不思議と気分は晴れやかだ。彼の髪を指に絡ませて遊んでいると、それがくすぐったかったのかレオナルドは少し身じろぎ、そしてゆっくりと瞼が開いた。

「・・・?」
「うん。おはよう、レオナルド」

 レオナルドはまだ目が覚めきっていないようで、寝ぼけ眼で私を見、それから窓の方を見た。気づけば外は太陽が昇っていて、小鳥がチュンチュンと鳴いている。「ねえ、レオナルド」私は彼の名前を呼んだ。けれどレオナルドは俯いていて私の膝に視線をやったままで、返事はなかった。
 じっとレオナルドを見つめる。すると、ぱた、ぱたと軽い音が聴こえてきて、そこで私は彼が泣いていることに気がついた。それは突然で、思わず焦ってしまった私は彼をなだめようとして腕を伸ばすけれど、やっぱり背中がズキズキと痛んで動けない。うう、と情けない声をあげてしまうと、レオナルドはその様子に気がつき、彼の頬を伝う涙を拭って私を見た。

「・・・どうして、こんなことをしたんだ。どうして」
「レオナルド、」
「死んだって可笑しくなかったんだぞ!? それなのに、無茶をして僕なんて庇って! ・・・僕は馬鹿だ。大馬鹿だ」

 こんなに大声をあげるレオナルドを見るのは初めてだ。いつも彼は落ち着いていてこんな風に自分の気持ちを曝け出すことがなかったから、私は正直驚いてしまった。「僕は、僕は・・・」レオナルドは泣きながら私を責め、そして自分を責めていた。

「僕はを守りたかった。がいなくなってしまう事が怖かった」
「うん」
「僕は、が好きだ。だから、例え貴女の恋人になれなくたって、弟としてだって良いから傍にいたかった」
「レオナルド・・・」
「僕を置いていかないで。お願いだから・・・」

 私は。私は、何てことをしてしまっていたんだろう! 彼はそうする必要が全く無かったのに、私は勝手に彼に弟の影を重ねて、いつの間にか彼にその責任を背負わせてしまっていたんだ。
 実を言えば私は、私に向けられた彼の好意に薄々と勘付いてはいた。けれど、私はそれに応えることが出来なかった。誰かを失うことが何よりも恐ろしくて、差しのべられた手を掴んだのに離れてしまうことが怖くて仕方がなかった。だから私は孤独になりたかった。誰かが隣にいれば弟のことを忘れてしまう気がして。掴んだその手を離してしまった私は弟に、彼は確かに生きていたんだということをずっと忘れずに生きていくことしかしてあげられなかった。それなのに。ねえレオナルド。弟と同じ名前の貴方はそんな私の傍にいつもいてくれたね。私はそれに甘えていて、貴方を守ることで守れなかった弟に償う事が出来ると思い込んでいた。そして貴方が私の手から滑り落ちてしまう前に、私が先に離れてしまいたかった。もし記憶の中の弟を思い出せなくなることで彼を再び死なせてしまうのなら、その前に私が孤独のまま死の淵へ落ちてしまいたかった。

 嗚呼、何て自己満足なんだろう。何て我が儘なんだろう! 守りたかったものを失う苦しみを知っていたのに、自分が傷つくことを恐れて、私は貴方を傷つけ苦しませようとしていたの! 私は弱虫だ。こんなにも弱い私を、貴方は傍でいつも支えてくれていたのに。私は、私は―――――。


「レオナルド、ごめんね」

 そう言うと、レオナルドはびくん、と身体を震わせた。
 私は背中が痛むのを無視して、腕を伸ばして彼を抱き寄せる。ごめん。ごめんね。

「今まで辛い思いをさせてごめんね。今まで、頑張ってくれてありがとう」
「僕では、貴方の弟が持っていってしまった分を埋めることは出来ないの」
「ううん、違うの。代わりにならなくて良い。これからは貴方だけが持っている、ずっと変わらないものを見ていたいの」

 遠くから見たレオナルドは細くて、背もまだ伸び盛りだろうなと思っていたけれど、女の私よりも少し大きかった。そう考える私は確かに時の流れを感じていて、まるで今まで止まっていた時の歯車が再び動き始めたみたいだった。ふ、と。私は弟のことを思い出す。あの日から私が追い求めていた彼は今までずっと私の傍にいてくれて、そしてこれからもずっと一緒にいるのだ、と。そうローラが言っていた。私はローラの言葉を信じる。そして弟、レオナルドのことを。
 私は言った。「この先、私が貴方の傍にいることを許してくれますか」するとレオナルドは優しく抱きしめ返してくれる。「僕の方こそ。この戦争が終わって、それから先もずっと貴女の隣にいさせて欲しい」彼はもう泣きやんでいたけれどその頬には涙の跡が残っていて、私がそこにキスをするとレオナルドは恥ずかしそうに涙の水滴を拭った。ねえ。物語はとっくに結末を迎えて終わってしまったと思っていたのに、その話の続きが始まるための序章は、私が放り投げたはずのペンを握った貴方が書き綴ってくれたのよ。




積み上げられる