ちくちく。
片方の棒針に絡められた毛糸の隙間に、もう片方の棒針を差し込んで糸を掛けて引き抜く。この繰返しを一体何度やってきたことか。
随分前に出された家庭科の宿題を、提出期限の二日前であった昨日の夜に思い出し、それからあたしは焦りつつもせっせと手を動かしていた。ちなみに、その内容はマフラーを編むというものである。今の日本の季節は夏だというのに何故マフラーを編まなくてはならないんだ。暑苦しいっつーの。と思いつつも、期限の一日前である今日も学校で少しでも暇があれば手をつけていたし、帰宅してからもずっと作業をしている。そんなこんなで、かれこれ4時間は経っているはずだ。そろそろ肩が痛くなってきた。目も疲れてきているみたいだし、とりあえず今は休憩にしよう。宿題をテーブルに置き、大きく伸びをする。
「何をしているんですか」
ソファに座っていたあたしの背後に立ち、上から見下ろすように顔を覗き込む骸。あたしは返事をするのが何だか面倒に感じて、代わりに欠伸で返した。
「おやおや。まだ宿題が終わっていないのですか」
「今は休憩中なの」
というか、黒耀中のあらゆる問題児の中でぶっちぎりで不良ナンバーワンの座を誇るであろう六道骸に、まだ宿題が終わってないのかだなんて言われるとは思わなんだ。授業もまともに出てないあんたに言われたくはない。
骸はあたしがテーブルに放置した編みかけのマフラーを手にとって、その具合をみている。チェックをしているのだろうか、何度かひっくり返すと、骸は盛大に溜息を吐いた。
「途中からだんだんと横幅が短くなっていますね」
「はぁ。・・・・・え、え? 嘘!?」
「そんなどうしようもない嘘を吐いてどうするんですか」
ほら。と呆れ顔でマフラーを見せる骸。・・・本当だ、横幅が上にいくにつれて短い。これではまるで細長く伸ばしたプリンのような形ではないか。
ということは、あたしの今までの頑張りがほとんど水の泡になってしまったわけだ。なんということだ。どうしてこうなるまで気がつかなかったんだろうあたし。期限が刻一刻と迫っていることに焦りすぎたのか。これでは元も子もないのに!
「ああもう! もうやだー!」
「全く馬鹿ですね、は。注意力の足りない人だ」
「・・・うるさいな」
「それにしても不思議なマフラーだ。こんなものをよく首に巻けると思えましたね」
ここぞとばかりに次々と非難の言葉を浴びせてくる。あたしだってやりたくてやったんじゃないやい。それを知っててもなお責めるコイツは少なからずサディズムの傾向があるに違いない。
「宿題をやりもしない人に言われたくないし」
「この僕が宿題なんてやるわけないでしょう」
でもあたしはマゾヒストではないので勿論喜ぶわけでもなく、むっとして言い返したが、骸はそう嘲笑い言い放った。
・・・確かに、骸がいちいち宿題の提出期限を気にして、こまめにやるだなんて思えない。授業出ないし。
けれど、あたしには出される宿題の一つ一つが重要なのだ。きちんと提出しなければ成績に関わるし、加えて家庭科は教科担当のオバサンに職員室に呼ばれ、ねちねちと小言を言われ続けるのだ。
「まあ仮に必要になった場合、僕には幻術がありますし」
こ、の、や、ろ、う・・・!!
「ひ、卑怯者め! だったらあたしの宿題も幻術で提出したことにしてよ」
「駄目です。それでは君のためになりません」
「その言葉、そっくりそのまま返してやる」
「第一、女の子が編み物できなくてどうするんですか」
「それは差別だよ」
「失敬な。僕は差別じゃなくて区別しているんです」
全くもう。ああ言えばこう言う。なんとも面倒臭い男だ。確かに顔は整っているし、体型もスラッとしていてスマートだ。外見は文句の言いようがない(あるとすれば不思議な髪型くらいか)が、内面はこうだ。もしも骸に彼女ができたとしても、80パーセントの確率できっと長続きはしないだろう。残りの20パーセントは、それぞれマゾヒスト、もしくは余程の面食いが彼女の場合。いやしかし、恋は盲目と言う。そんな骸も好きよ、という人がもしかすると1パーセント現れるかもしれない。それなら、最終的に確率は79パーセントということか。・・・まあ兎にも角にも、自分は21パーセントに分類される人間ではないはずだ。だから、あたしは今この目の前にいる六道骸が憎くて憎くて仕方がないのだ。
「・・・骸のばか。もう骸なんて知らないから」
この台詞を今までに何度言ったかなんて覚えていない。それくらいのペースで、否ほぼ毎日のように骸はあたしに小言を言う。結局は、骸も家庭科のオバサンも大して変わらないじゃないか。
ふい、と骸から顔を背ける。すると、いつものように骸は気づくか気がつかないかくらいの小さい溜息を吐いた。そして「仕方がないですね」とお決まりの台詞を言う。毎回の言い合いが喧嘩にまで発展しないのは、いつもこの辺りで骸の方が折れてくれるからだ。・・・でも、それだと悪いのはあたしの方だという雰囲気ではないか。断じてあたしは悪くないぞ。
「いいでしょう。今回は特別に幻術を使ってあげます」
「え、ほんと! ありがとう骸!」
そう言うと、途端に骸はにやりと笑みを浮かべた。
「その代りと言ってはなんですが、今日は一緒にお風呂に」「絶対やだ」
どんなときも、上手い話には裏があるものだ。
現在、夜0時。
骸と風呂に一緒に入れだの嫌だのと言い争っているうちに、とうとうこんな時間になってしまった。ちなみにマフラーはまだ編み終わっていない。
やばい。あのプリン型を解いて再び編みなおしたので、まだ半分しかできてない。このままじゃ本当に間に合わないぞ。・・・やっぱり、骸に頼んで幻術を使ってもらおうか。・・・・・。い、いや! 駄目だ。差し出すものがあまりにも大きすぎる! 自分を安売りしちゃ駄目だ。女の子なんだから。骸も骸だ。骸が邪魔をしてきたから今に至るのだ。普段はさっきのように煩わしいくらいにねちねちと言ってくるくせに、ほんのたまに「好きだ」とか「愛しています」とか言う。散々罵っておいて何を今更。なんて思うけれど、その言葉を口にするときの骸は嘘の一言で片づけるにはあまりに真面目すぎる表情だった。だから・・・その度に彼に期待をしてしまうあたしが心の何処かに、でも確かに存在しているのだ。骸に好き、と(本当にたまにだが)囁かれるにつれ、あたしはだんだんと普段の煩わしい骸に対しても心が広くなっている気がする。・・・あれ、これはこのままだと、まさか残り1パーセントの「恋は盲目」に分類されてしまうのではないか。
・・・・・。なんて、そんなことを考えている場合ではなかった。今は兎に角、宿題を終えなければ。
思考がそこまで到達するとあたしは棒針を手にし、ただひたすらマフラーを編み続けた―――――。
―――ら、いつの間にかテーブルに突っ伏していた。口には涎の跡が・・・誰かに見られてたら恥ずかしい。それに、なんだか頬が痛い。なんでだ? とりあえず起き上がると、窓から白い光が射し込んでいた。ちゅんちゅんと鳥の声が聞こえる。・・・・・。ん? どういうことだ? 寝ぼけ眼で手近にあった時計を見る。現在、朝9時47分。・・・これは、ま、さ、か!
「やばいよ骸! 遅刻だよ遅刻! 千種も犬もやばいって!」
バンッ。と勢いよく広間のドアを開けると、そこにはいつもいるはずの三人が見当たらなかった。と、いうことは。
あいつら・・・知っててあたしを見捨てたな! 今日の1限が家庭科だから遅れたらちゃんと宿題提出できないじゃん。ここ人気がないからバスも少ないし、学校まで遠いんだよふざけんな!
なんて悪態をつきつつ、バタバタ忙しく学校の準備をし住処である黒耀ランドを飛び出した。
「ねえ骸」
「なんでしょう」
結局、学校に着いたのは3限の途中からだった。勿論、宿題は出せなかった。はずなのに。
「・・・意味が分からないんだけど」
何故か、宿題は提出済みになっていた。加えて授業も朝から出席になっていたし、友達におはようと挨拶をすれば「今更何言ってんのあんた。朝からずっと一緒に居たでしょ」と言われる始末。
一体どういうことだ。
すると骸はクフフ、と笑みを浮かべる。「頭の回転も遅いですね。まるで回し車を亀がのろのろ歩いているようだ」と。うるさいよ。
「もしかして、骸が何かしたの」
「僕はとの約束を果たしただけですよ」
「・・・・・約束?」
約束、何の話だ。骸と何か約束をしたっけ?
頭を抱え深く深く考え込んでいると、骸の笑みはより増していった。
「覚えていないようですね。それも仕方がないでしょう、現実ではないのだから」
「は?」
「とても良い夢を見させていただきましたよ。・・・ただ、確かな記憶を君と共有できなかったのは残念ですね」
約束、約束。骸の言葉はさっぱり分からなくて何のヒントにもならない。なので、自力で昨日の記憶を辿る―――――。
(「今日は一緒にお風呂に」「絶対やだ」)
・・・あ。
「、また一緒に入りましょうか。今度は現実でね」
その言葉を聞き終わるよりも早く、みるみるうちに顔が真っ赤になっていくのが分かった。
ななな、なんてことだ!
「う、嘘・・・だよね?」
「ええ。嘘ですけど」
そうですよね、嘘ですよねありえないから・・・。・・・・・は? 今コイツ、何て言った?
「そんな紳士的でないことを僕がするとお思いですか。第一、が嫌がることはしたくありませんよ。それではただのセクシャルハラスメントです」
はあ、と骸は盛大に溜息を吐いた。溜息吐きたいのはこっちだよ、もう意味わからないよ骸なんて! 「本当に騙されやすい人だ」という呆れ顔の骸を睨みつける。とりあえず、コイツにからかわれたのは理解した。
「ですが、この学校の人間に幻術を使ったのは事実です。起こそうとして頬を引っ張っても、涎を垂らして眠ったままのがあまりにも哀れだったもので」
「・・・それはどうも。(やっぱり見られてた! ってか頬が痛かったのはお前のせいか)」
「感謝する必要はありません。僕は君にその代償を求めるのですから」
そうやって、ふわり、と優しく微笑んだ骸。
すると。
珍しい彼の表情に目を奪われていたあたしの前髪を掻きあげ、露わになった額に骸は触れるだけのキスをした。
「確かに頂きましたよ。では、また」
満足したように去っていく骸の後姿を、熱くなった頬を押さえながらあたしはただ見ているだけだった。
・・・いつになったら理解できるようになるのだろう。彼のことも、あたしのことも。
甘い残り香に惑う