沢田綱吉と(昇降口にて)!
平日の昼、少し前の時間。いつもならば自分と同じ制服を着て、同じ方向へ足早に歩いて行く学生がちらほら見えるはずのこの路だがそれは早朝の話であり、今の時間帯になると犬と散歩をしているお爺さんやゆっくりカートを押して行くお婆さんとすれ違うだけであった。右腕の時計を見れば針は現在の時刻、11時43分を指している。並盛中で定められている朝のHRの開始時刻は8時半。家から中学校までの通学時間はそれ程掛からないものだとしても11時30分に目覚めてしまったのなら、その距離を例えオリンピックに出場出来そうな勢いの走りで登校したとしても間に合わないのは当然だ。つまり、本日沢田綱吉は寝坊で遅刻、という事である。
走れば乱暴に押し込んだ教科書と筆記用具が鞄の中で暴れ、恐らく傾いて崩れてしまったと思われる弁当箱の中身を気にしつつもようやく校門の前へと辿り着いた。恐ろしいのは此処からだ。職員室で担任に遅刻を咎められる事よりも、此処から教室までの間に風紀委員に見つかる事の方が何十倍も恐ろしい。特に風紀委員長である雲雀恭也に見つかれば、身体の骨を一、二本持っていかれる事は確実だろう。否、むしろそれで済めば良い方だ。その風紀委員を警戒しつつ、昇降口へと慎重に進んで行く。だが、彼らの特徴といえる学ランを着たリーゼントの姿は一人も見当たらなかった。もしかすると、今の時間は学校を出て並盛町の見回りをしているのかもしれない。並盛中の風紀委員とはそういうものだった。もしも本当に予想が当たっているとすれば、今日は相当ラッキーな日である。遅刻をした事は差し引いて、だが。
なるべく足音をたてない様に、靴を脱いで昇降口の中をゆっくりゆっくりと歩く。まるで、昨日の夜に読んでいた漫画の主人公である怪盗の様な気分を綱吉は味わっていた。一歩、二歩、三歩。そして、とうとう自分の靴箱の目の前に到着した。此処でもやはり音をたてない様にゆっくり動く。ゆっくり腕を伸ばし、上履きを掴んだ―――その時。
「ねえ、君」
「ヒィイ!?」
ぽん。肩に手が置かれる。驚いて掴んだ上履きは投げ出され、それが宙を舞うと同時に綱吉は叫んだ。「ごめんなさいごめんなさいもうしませんから殴るのだけは勘弁して―――」置かれた手が離れたので、早速一発殴られるのかと目をぎゅっと瞑って覚悟をした。が、衝撃は何時まで経ってもやってこない。こない、こないと思っていたら次の瞬間。ぱこん、と頭の上に何かが落ちてきた。「いてっ」確かに衝撃はやってきたけれど、想像していた痛みとはかけ離れていたので目を開けると、足元に転がっていたのは自分の上履きだった。そして、「え、」と後ろから漏れ聞こえた声に戸惑いが混ざっているのを感じて、相手が風紀委員であると信じて疑わなかった綱吉だが何か様子が違う事に気づき、振り向く。すると、そこに居たのは学ラン姿のリーゼント―――ではなく、自分と同じ並盛指定の制服を着用した見知らぬ男子生徒だった。大人っぽい雰囲気を感じるが上の学年の生徒だろうか。彼は綱吉の叫び声に相当驚いたのか、右肩に掛かっていた鞄とブレザーがずり落ちていた。
なんだ、自分と同じ遅刻者か。風紀委員ではないと分かり、綱吉は安堵してほっと肩を撫で下ろす。
「す、すみません。急に大声出して」
「いやいや、こっちも・・・」
そう言うと、彼は先程の緊張が解けたのか表情が緩み、そして「ごっ、ごっごめんねあっはっははは!」爆笑した。
「ヒィイだって! しかも、ぱこって、うっ、うっ上履きが! あ、頭に!」
それはもう、何も気にする事無くただひたすら笑っていた。「ひぃ、こ、コントみたいだ、ははっ! はー、ひぃ面白い!」笑い過ぎて呼吸が出来ないんじゃないだろうか。確かに物凄く情けない声を出して、さらには自分で放り投げた上履きが見事頭に命中するだなんて、彼が言う通り上手く編集されたテレビのコントの様だ。けれどもこんなに笑われる程だったかと、数分前の出来事を思い出して綱吉は恥ずかしくなり、同時に人の事をとにかく笑い続けるこの男子生徒に幾分か腹が立った。彼はそんな綱吉を知ってか知らずか、ひぃひぃとまるでひきつけが起きたかの様に笑い、終いにはげほげほ咳が止まらなくなっていた。とりあえず、大丈夫だろうかこの人は。
「いやー、悪かった。あんまり面白くってさあ、感動しちゃった」
「そうですか・・・」
「うん。ほんとに面白かった・・・じゃなくて。そうそう、俺、職員室に行きたいんだけど場所が分かんなくて。何処にあるの?」
笑い続けていたその男子生徒はやっと落ち着いてきたのか、ゆっくりと口を開いてそう言った。この学校の生徒だろうになんでまた、と思うと「転校して来たばっかで、全然覚えてないんだ」彼は付け足す。綱吉は気づけば自分の肩に背負った鞄の重みに加え、さらに重い何かが圧し掛かっているのを感じていた。今日はラッキーだ、なんて少し前の自分は思っていたけれどそんな事は無く、寧ろ(というか、やはり)アンラッキーな日である。嗚呼、早くこの場から去りたい、と綱吉は思った。
「職員室なら、此処を右に曲がってずっと行った所にありますよ」
「なんだ、すぐ其処じゃないか。ありがと」
「いえ・・・それじゃあ」
落ちていた上履きを拾い、去ろうとした。が、すぐさま呼び止められてしまう。「あ、沢田君」驚いた。何で転校生が名前を知っているんだろうか。そう思っていると彼はそれを見抜いたのか、一点を指差す。「鞄の名前。そうだろ?」思わず呆気にとられてしまった。意外と目敏い人物の様だ。
「お詫びに良いものあげるから、両手出して」
何だろうと不思議に思いつつも、早く去りたいという一心で綱吉は言う通り、両手を差し出す。すると、彼はその手の上で何やら自分の両手を揉む仕種をし始めた。一体何をするつもりなのか。
「じゃあ、いくよ」
せーの、という掛声の後。ぽと、と軽い衝撃があった。手のひらを見ればそこには透明のビニールに包まれた桃色のあめ玉が一つ転がっていた。そしてそれに気づいた次の瞬間、ぽとりともう一つあめ玉が落ちる。今度は黄色だ。彼の手はまだ動いていた。ぽと、ぽと。次から次へとあめ玉が綱吉の手のひらに落ちていく。まさか、彼の両手からあめ玉が生産されているんじゃないか、と綱吉が思い始めたのは手のひらにあめ玉のカラフルな山が一つ築かれてからだった。一つ二つならまだしも、これ程のあめ玉を両手で隠し持っているだなんて、幾らなんでも無理だろう。彼が魔法使いだというのなら話は別だが。なんて、そんな事を考えている今も、彼の手はあめ玉を生み続けているのだ。ぽと、ぽと。そろそろ両手では持ち切れないほどに山が大きくなっていて、遂にころんと手から一粒零れ落ちたところで綱吉は焦って言った。
「す、ストップ! もう十分ですから!」
「そんな。遠慮しなくていいぞー」
「いや、もう! ほんとにいいですって」
ようやく、彼の手はあめ玉の大量生産を止めた。「じゃあこれで最後」彼の右手を開くとそこにも一つあって、彼は最後にそれをカラフルな山の頂上に乗せた。
「笑ってごめんよ。あと面白いコント、見せてくれてありがと。じゃあ」
ひらひらと手を振り、彼は角を左に曲がって去って行った。ちなみに職員室は右である。
彼の姿が見えなくなって、綱吉は自分が遅刻をしていた事を思い出す。そうだ、早く教室へ行かなければ風紀委員に見つかってしまうのだった。先程一人の笑いのツボを勢いよく突いた、その原因である上履きを急いで履こうとしたけれど、如何せん両手はあめ玉の山で塞がっていた。もし風紀委員に見つかれば、このあめ玉についても咎められるかもしれない。なんというやっかい事を残してくれたものか。
「・・・変な人」
思っても言わなかったその一言が、とうとう抑えきれずに口から出てしまう。手から零れたあめ玉が床に落ちて、こつんと静かになった昇降口に音が響いた。
沢田綱吉が一人の転校生―――と、初めて出会った日の事である。