今はもう、既に別々の道を歩んでいるのだと。二度と交わることはないと、そう確信していた。











 夜、仕事から帰ってきたときだった。
 いつものように住んでいるアパートの階段を上っていると、自分が借りている部屋の前に誰かが立っているのが見えた。
 誰だろうか。体格からしておそらく男で、黒いスーツを着ている。
 こんな時間にスーツで訪ねてくる知り合いなんて特に思いつかないので、少し恐くなってなかなか近付けないでいた。
 そうしたら。
「もしかして、?」
 男はこちらに気づき、振り向いた。名前を呼ばれたということは、本当に知り合いだということだろうか。
 「どなたでしょうか」と聞けば、男はちょっと困った顔をして、それからやわらかく微笑んだ。あれ、この懐かしい感じは―――――。


「俺だよ、綱吉。沢田綱吉だよ」


 どさっ。あたしの持っていた鞄が、肩から滑り落ちた。
 ・・・まさか。夢でも見ているんじゃないか。
 呆然としているあたしを「だ、大丈夫?」と心配する、自称沢田綱吉さん。
 でも。だって、だって。
「・・・綱吉は、イタリアにいるんでしょ」
「久々に日本に帰ってきたんだよ。・・・に、話したいことがあるんだ」
 聞いてくれる?
 そう言われて、あたしは少し考えて―――頷いた。この感じは、やっぱり綱吉だ。

 とりあえず、部屋に入ろう。ドアの鍵を開けて、彼を部屋に招き入れた。





 あたしと綱吉は、家が隣同士で幼い頃からの友達だった。所謂、幼馴染というやつだ。
 幼稚園でもいつも一緒にいたし、小学校でもよく遊び、二人で帰っていた。中学校は・・・どうだろう。いつの頃からか、綱吉の周りがすごく賑やかになって、あたしもその中の一人だった。二人でいるなんてこともないし、そうしてあたしと綱吉の距離は随分と遠くなっていった。
 高校のとき。
 綱吉が突然家にきて、どうしたのと尋ねると彼は「これからイタリアへ行くんだ」と言った。
 そして、向こうで暮らすのだということと、もうあたしとは会えないのだということだけを告げ、綱吉は目の前から去ってしまった。
 どうして、というあたしの質問には何一つ答えないまま。

 その綱吉が、今目の前にいる。それはあたしにとって、とてもじゃないが信じられないことだった。
 向かいの椅子に座り、あたしが用意したコーヒーに少しだけ口をつける綱吉。どうやって、ここまで来たんだろう。住所なんて教えてないのに。未だに並盛に住んでいる親にわざわざ聞いたのだろうか。
 彼はカップを置くと、それからちらりと部屋を見て言う。「結構きれいにしてるんだな」
 昔・・・いや、今もかもしれないが、あたしは物を片付けるのがあまり得意ではなかった。それを、彼は未だに覚えていたというのか。
「物があんまり無いからね」
「でも良いな。こういう部屋、好きだよ」

 ちくり。胸が痛んだ。
 手元のカップを持ったまま、あたしは黙り込む。沈黙。
 ・・・ああ、気まずいな。綱吉もきっと今、そう思っているんだろう。昔はもっと話していたのに。今は、こんな少しの会話もできなくなってしまったのか。

 すると、辺りを見ていた綱吉はあたしの方を見て、真剣な眼差しをした。きっと本題に入るのだろう。

。・・・俺が最後にに会ったときのこと、覚えてる?」
「もちろん。忘れないよ」
「あのとき、ちゃんと話せなかったから。どうして俺が、イタリアへ行ったのか」
「・・・・・」

 どうして、か。
 そんな。あたしはそのときに、ちゃんと尋ねたじゃない。なんで、十年経った今、そんなことを言うの?

「そんなことのために、わざわざ来たの?・・・だったらずっと、何も言わないでいてくれたままで良かったのに」
 そうしたら、また綱吉のことを思い出さないで済んだんだ。

 あたしの心は今、とても冷たかった。今は、冷たい言葉しか頭に浮かんでこない。
 綱吉は「ごめん」と一言謝る。その顔は、今にも泣いてしまいそうなくらい歪んでいた。

「でも、そういうわけにはいかないよ。に聞いてほしいんだ」

 きっと、傷つけた。そう思うと、途端に罪悪感に襲われた。罪悪感でいっぱいになった。
 それでもあたしは謝ることができず、ただただ彼がが話しだすのを待っているだけだ。
 綱吉が、口を開いた。


「なあ。・・・実は、俺、マフィアのボスなんだ」


 何、を。

 突然、何を言っているのか。と思った。
 思考が付いていけてないあたしをそのままにして、綱吉はぽつりぽつりと言う。

「なに、それ」
「だから俺、本拠地のイタリアで暮らしているんだ。向こうで仕事してる」
「仕事・・・って」

 そう聞くと、彼は言いにくそうな様子で黙ってしまった。
 また、答えてくれないんだろうか。
 なんて自嘲気味に思っていると、綱吉は何かを決心したようで、再び口を開いた。
「殺し、だ」

 ・・・・・殺し。
 殺し、殺し。人殺し。
 分からない。綱吉が何を言っているのか。あたしは、何も理解できていない。

 あの優しかった綱吉が、人殺し?


「・・・そんな目で見ないでくれ。お願いだから!」
 そこで初めて、自分が彼に憐れむような、怯えるような視線を向けていたことを知る。

「俺は、俺の大切なもの、大切な人たちを守りたかったんだ。だからそのためには、躊躇ってはいけなかったんだ!」

 綱吉は叫んでいた。苦しそうに、まるで許しを乞うように。

 何だろう、これは。夢、だろうか。

 綱吉があたしのもとに来たことも、マフィアのボスだとかも。何もかもありえないことだらけだ。
 ぐるぐる頭の中が回っている。
 目の前の綱吉が、ぐにゃりと歪む。
 ・・・頭が痛い。気持ち悪い。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い―――――。

 名前を呼ぶ綱吉の声が、だんだん遠ざかっていく。


 そうしてあたしは、いつの間にか意識を手放していた。









 何もない真白な世界で、唯一綱吉の声がした。
 あたしの知っている、最後に見た頃の綱吉の姿が見える。
、こっちへおいでよ」
 ぼんやりと綱吉を見ていると、何か柔らかいものが頬を優しく触れた―――――




 目が覚めると、いつもの天井が一番に目に入った。いつの間にかベッドで寝ていたようだ。

 ・・・なんだ。やっぱり夢だったのか。ひどい悪夢だった。
 起き上がると、キィンと頭の中で鳴り響いた。頭が痛い。



 綱吉の声がした。
 振り向くと、そこには黒いスーツを着た綱吉がいた。夢と同じ。・・・いや、これは現実だったんだ。

「ごめん。疲れてたのに、突然あんな話をして。・・・驚いたよな」


 綱吉を見ることも出来ず、ただ視線を泳がせていた。
 少しして綱吉がまた「ごめん」と謝る。「八つ当たりするつもりじゃなかったんだ」

 だんだんと頭がはっきりしてくる。
 どんな話をしていたっけ?・・・確か、綱吉がマフィアのボスになってイタリアで仕事をしていて、その仕事というのが、人殺しで。
 マフィアだのボスだの、殺しだの。そんなことは、この日本では日常会話で使われる言葉では無いだろう。ましてや、それが職業だなんて・・・。
 あたしにとっては、とても信じ難い話ではあった。―――――相手が綱吉でなければ。


 幼い頃の綱吉は、とても優しかったけれど弱虫の泣き虫で、皆からダメツナと呼ばれていた。
 なのに。それなのに、彼は中学の途中からだんだんと、でも大きく変わっていった。綱吉自身が成長し、彼の周りに人が集まってくるのをあたしは近くでずっと見ていたが、どうしてなのか分からなかった。

 けれどそれが今、綱吉の言う“マフィアのボス”であるということが理由なら・・・きっと、そうなのかもしれない。


「そっか」
「・・・今まで黙ってて、ごめん」

 それでも、あたしには想像がつかないことだった。ただなんとなく、話を進めるにはああそうなんだと頷くしかなかった。
 あたしは本当に、何も知らないんだな。

 前は、幼馴染というポジションで、綱吉のことを何でも知っていると思っていた。
 でも、彼が変わっていくにつれて。彼の仲間が増えていくにつれて、あたしは怖くなっていった。二人で遊んで、いつも一緒にいた昔とは違う。綱吉の大切な人が増えていって、だんだんあたしのことを気にしなくなっていって、そしてとうとう忘れてしまうのではないか、と。

 あたしは綱吉のことを何も知らなかった。
 どうしたの、と聞いたこともあったけど、彼は教えてくれなかった。なのに他の人たちは知っていて、あたしと皆の間には高くそびえたった分厚い、越えられない壁があるのだと思った。

 そうしているうちに、あたしも変わっていった。

 あたしは綱吉と仲が良かった。いつも一緒に遊んでいた。あたしにとって綱吉は特別だ。でも綱吉はあたしを特別だとは思ってないだろう。あたしは綱吉が大切なのに。あたしは綱吉のことをもっと知りたい。でも綱吉に疎まれて、離れていってしまったらどうしよう。あたしはあたしは、あたしは―――――。
 

「綱吉なら、大丈夫だよ。・・・だって、綱吉は」

 あたしとは違う。ずっと、自分のことばかり考えていたあたしとは。
 綱吉は大きくて穏やかで、空のように皆を包んでいく人だから。
 それだけは、しっかりと分かっているよ。

「綱吉なら、きっとどんなことでも乗り越えていけるよ。綱吉なら。だから、大丈夫」

「話してくれてありがとう」


 綱吉はその話をしに、あたしに会いに来たんだ。だけど、あたしはちゃんと分かってあげられなかった。それが、あたしの住む世界と綱吉の世界が違うことを知らしめているようだった。
 もしかしたら、これでもう本当に最後かもしれないけど。
 でも、最後に綱吉を、今の綱吉のことを知ることができて良かった。


「あたし、綱吉のこと応援してるから。違う場所でも、ずっとずっと」


 そうして、あたしは再び自分の世界で生き続けるのだ。


 






 頭が、ぼうっとしている。また夢を見ているような錯覚に陥っている。
 そう思っていたら―――――。
 腕を掴まれた。突然だったので驚いていたが、綱吉はぐいっと腕を引いた。あたしはそのまま綱吉の方へ倒れこむ。


「俺、俺・・・勇気がなかった。俺のせいで、に何かあったらって思うと・・・話せなかった。そうやって、今まで隠してた。でも」


 強く、でも優しく、抱きしめられる。
 体温が温かい。とても心地が良いので抱きしめ返すと、綱吉は一瞬驚いたようだったけど、すぐに照れたように笑った。



、愛しているよ。どんなことがあったとしても、俺がを守る」



 あたしは、いつの間にか綱吉を愛していたんだ。
 その想いは抱えきれず零れ落ちてしまったから、てっきり失くしたのかと思ったけど。

 それはちゃんと、今でもあたしのものだったんだ。
  

「だから、一緒にイタリアに来てくれないか」

 その綱吉の言葉に、たとえ行く先があたしの世界とかけ離れていたとしても、ただ綱吉がいればいい、と。そうして、あたしは頷いた。








あたしをあなたの世界へ連れてって
   (お願いだからもう、置いていかないで)